我に返り

昨日までの約1週間、またもや過酷な時間を過ごした気がします。
家では、実質の就職活動終了を受け、いらないものを捨てまくり、必要なものをまとめる合理化を実施しました。おかげで、かなり落ち着きました。
連休中、母親が私の家に泊まっていて、私の就職のことで、毎晩説教されました。
嫌でしたね。どんなことを言われても、黙って聞いていましたが。
価値観が違いすぎるということが、改めて思い知らされました。
誰のために生きるのか―
今の私の答えは、「自分のため」です。自分が、自分の思い・夢を持ち、そのために生きること。これが、もっとも根源的なものだと思います。自分が生き生きしているからこそ、人にも活力を与えることができる。自分が潰れてしまったら、何もできなくなってしまう。
さらに、日常を安定的に過ごすよりも、先が見えなくても、自分だからこそできるという役割を担いたいのです。
母親には、「自分を殺して生きること」を言われました。自分のことは最後だと。
それは、それでいいと思いました。私だって、将来自分以上に守りたいものができるかもしれない。そう感じれば、価値観も変わっていくでしょう。
価値観の違いは、そこではありません。
私の内定先を否定するのは、「組織の基盤」、「労働組合」、「寮・社宅・住宅手当」といったことです。
「いつなくなるかわからない」
確かに、就職先に定年まで勤めることが保障されればいいでしょう。でも、私にとっては大切な役割を果たすという中身が重要です。役割を終え、必要がなくなれば、消えてゆくものでしょう。究極的に言えば、人間だってそうかもしれません。
「労働組合」
必要と思うなら、自分で行動すればいい。親はないとダメだと言うくせに、自分では何の活動もしてない。仕事が忙しいとか、めんどくさいとか、逆らう者は切られるとか考えている。
「寮・社宅・住宅手当」
「住む場所がないだろう」、「東京に住むとなったらいくらかかる」。東京に住みたいから就職するんじゃないんだ。
確かに、どれもあればいいものです。私も、就職活動中は、独身寮とか住宅手当は気になっていました。でも、そのために就職先を選んだんなら、もはや夢も目標もあったもんじゃない。働くことそのものが馬鹿らしいと感じました。
親の願いは、「保障された暮らし」
私の願いは、「自分らしい生き方」
結局のところ、どちらを選ぶにしても、一番結果が跳ね返ってくるところは自分です。自分自身の人生なんだから。
あなたなら、どう生きますか?
私は、自分らしく生きます。自分らしく生きることで輝き、それが人を世の中を作るのです。長生きはしないかもしれない。金持ちにもなれないかもしれない。それでも、生きて役に立つなら―

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