『氷菓』が実写化という意味を考える

『氷菓』が実写映画化されるということは、今年の春先だったでしょうか、事実として報道されていました。

先日、キャストが発表になったということで話題に!

山崎賢人と広瀬アリスのW主演で「氷菓」実写化(映画ナタリー)

人選には、問答無用でツッコミが入っちゃいますね(^_^;)ネットでも騒がれていました。
自分でも、「また山崎賢人か」と思ってしまいます(^_^;)
まぁ、いいではありませんか、広瀬家でも姉ちゃんの方だったんだから…(僕が、広瀬家ではアリス派なだけ)

山崎賢人のことはおいておいて、“「氷菓」の実写化”と聞いて、どんな中身になるか、想像をしましたか!?!?
真剣に考えたら、多少ドキドキすることがありました。

まず、「氷菓」は、本質的には米澤穂信先生の古典部シリーズ第1作目のタイトルです。

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この古典部シリーズを、京都アニメーションでアニメ化して、「氷菓」と名付けられました。
Boxは僕も買いました。

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また、コミカライズもされていて、こちらも「氷菓」となっています。
新作OVA(Blu-ray)がセットで発売されたときは買ったなぁ。そのエピソードは、BOXにも収録されています。

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今一度考えてみましょう。“「氷菓」の実写化”と聞いて、元ネタをどこに求めましたか??
僕は、アニメを思い出したのです。

なんだか、言葉遊びのようですが、本質的には、人気ミステリーの古典部シリーズを実写化し、(これもまた)「氷菓」と名付けた訳です。

こう解釈すると、僕は冷静になれます。
でも、文字通りアニメの氷菓を実写化するということなら、僕はこういう。

失敗する(≒絶対にアニメの方が面白い)

『氷菓』と題された原作を実写化する立場というのであれば、内容としては、古典部の作成する冊子が「氷菓」と名付けられた理由の話がメインとなるでしょう。
その一方で、古典部のメンバーが集まった事情や、千反田さんの「気になります!」などなければわけがわかりません。どこまで丁寧にやるかの問題ですが、映画1本でおよそ2時間とした場合、脚本のお手並み拝見となるでしょう。(別に、俺は見に行くなんて言ってないけど…)

アニメを見た限りでは、学園祭(カンヤ祭)のエピソードが、面白すぎて頭を抱えるレベルだったので、ここが実写化されるのであれば、そこはかとない拒否反応を持つかもしれませんね。

氷菓がライトノベルかどうかという議論があったそうです。
そんなん、KADOKAWAに聞けやというと議論になりません。
自分の見解を示すと、ラノベって、共通したタイトルをナンバリング(1巻、2巻、3巻…)したり、サブタイトルをつけたりで刊行していくイメージです。氷菓は、“古典部シリーズ”の最初の作品であり、シリーズ刊行作品は全部タイトルが違いますから、ごく通常の小説(ミステリー小説)というのが適切に考えます。

古典部シリーズの最新作、「いまさら翼といわれても」が発売されました。
電子書籍化もされたので買いました。
まだ読み始めたばかりですが、やはり好きなものはワクワクしますね。

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それでは。

【聲の形】西宮さんは普通なのか(ネタバレあり)

聲の形を2回見たあたくし。
いくつか思うことがございますので、ネタバレを恐れずにブログに書こうと、仕事帰りにひとりぼっちで考えをまとめていたら、ものすごい超大作になる気がしたのです。

そこでですよ、何回かに分けてしまえばいいのではないかと気がついたのです。
それ、マジで個人の自由!

今回は、その初回のつもりですが、なんだかんだで1ヶ月に2回くらいしかブログを更新しない人間になってしまったのだから、次回はないかもしれん。。それはそれで知らんけど。

(スタート)

主人公の石田君がブイブイいわしている小学校6年生時代。
そこに、西宮硝子さんが転校してきました。
西宮さんは耳が聞こえません。

西宮さんは筆談希望でニコニコでカワイイのですが、最上位カーストである植野は西宮さんとのコミュニケーション手段が折り合わず、うまくいきません。植野にとっては、西宮さんの存在がだんだんとストレスに
なっていき、攻撃(いじめの)対象と発展していきます。

手話を覚えようという意向を示すなど、積極的に西宮さんとコミュニケーションを取ろうとした佐原さんが登場するわけですが、植野は佐原さんから攻撃していきました。
植野が「服、ダサくね??」とか言うシーンがございますが、佐原さんのことですね。これは、高校になった植野と佐原さんが同じ高校でデザインを学んでいるというのが出てくるわけですが、佐原さんが植野のセンスを賞賛するところがありまして、つながってますね。はい、伏線回収~

佐原さんは、なまじ声が聞こえますから、植野のやり方に屈して、不登校になったわけです。

植野率いる女子の最上位カースト軍団と、クラスで悪目立ちする男子グループである石田(主に実行する人)、島田(主に高みの見物をする人)、広瀬(じゃがいも)が、西宮さんをいじめるようになります。
西宮さんは補聴器をしてまして、それをぶんどってのいじめ。ありゃぁ酷いですわ。。作中で補聴器を取っちゃう人として、植野と石田が描かれますね。

あまりにも補聴器が壊れたりなくなったりするものですから、西宮さんの母親から学校に連絡があり、担任の先生が黒板ドンを決めて、めっちゃドキドキしたところで、いじめの犯人として石田が吊し上げられ、いじめの対象が石田に変化したという展開でした。

さて、西宮さんは、耳が聞こえないということで、いわゆる聾学校に通う選択肢があったと思います。でも、普通の小学校の一般生徒として修学していた。

僕が通った小学校は、いわゆる発達障害の人とか、耳が聞こえにくい人とかが所属する専用のクラスがありました。

同級生には、耳が聞こえにくい人がいて、授業によって僕のクラスと専用のクラスを行き来していました。
もっとも、その人は、補聴器でだいぶ正しく聞き取れていたということがあり、手話は筆談の必要性はなかったです。(それなりに、)ちゃんと人の声が聞き取れるのであれば、正しい発声は身につくものなので、会話は問題なく成立しました。まぁ、ごく一般の人と比べれば、多少、難はあるのです。

最新の補聴器事情は知りませんが、当時教わったこととして僕の記憶にあるのは、補聴器は高価だということ、補聴器は、拾う音がある一定の大きさになると、拾った音を増幅(大きく)して耳に届ける仕組みになっているということでした。

高価だとかは関心はありませんでしたが、石田のように補聴器をぶんどったり、外して見せてもらったりみたいなことは無かったですね。

音の増幅のことが知識としてあったので、お話しするときに小さすぎることがないようにすると同時に、大声になりすぎないようにするのにも気をつけたなぁと思います。

作中、石田が授業中に、西宮さんの耳元にメガホン状に丸めた教科書を当てて「ワッ!」と大声を出すシーンがあります。僕は、この場面を見て、石田を殴ってやろうと思うほど、腹が立ちましたね。
補聴器の機能から考えると、耳元の大声って、相当な大きさに増幅されて西宮さんに届いたに違いありません。それが、西宮さんに聞こえたのかどうかは、症状の深刻さが悪い意味で曖昧なところがあって分からないのですが、耳自体に相当な負担がかかった可能性は高いのです。実は鼓膜が破れてしまったみたいな事故になる可能性だってあるのです。絶対にやってはいけません。

西宮さんの耳の症状は、おそらくかなり深刻でしょう。
小学生の頃の状況というのもありますが、西宮さんのおばあちゃんと病院に行って帰ってきてからの落胆ぶりや、高校生になった西宮さんの発生が小学生の頃から大きくは進歩していないと感じられないからです。

それでも、”好き”と”月”を聞き間違ってしまった石田は、ほんまもんの天然で童貞ですわ。
そりゃぁ、結弦が吹き出しますよ。(←僕のお気に入りのシーンのひとつ)

話を戻しましょう。

僕よりも少し下の世代になると思いますが、障害を持った人も、健常者と同様に普通学級で教育を受けようというのが流行してきたと認識しています。
現代のおおよその教育方針というのが分からないのですが、西宮さんの場合も、上述の方針だったのだと推察します。

果たして、西宮さんにとって、正しかったのでしょうか。

西宮さんが転校してきた事情は語られませんでした。

西宮さん自体は、とにかくニコニコしていた。

どうでしょう。例えば、前の学校でいじめや、いじめに近似する待遇を受け、非常に辛かったため、転校したのではないか。

転校した先では、とにかく明るく振る舞おうとした。

放課後に植野が集団を下校に持ち込み西宮さんをぼっちにしたところで、石田は西宮さんに小石を投げながら「もっとうまくやんねぇと」と、大人みたいなことを言いました。
このセリフ、悪目立ちしてるとは思うんです。その一方で、西宮さんの態度が不自然と感じられるくらい友好的過ぎることを暗示しているようにも思います。筆談用のノートを石田が学校の池にぶん投げる場面でも、西宮さんは友達だって言ってましたから。

(少なくとも、この転校先の学校では)西宮さんは、いじめの対象になり、最終的に転校していってしまったわけです。
その後は、、学校に登校しているかどうかは、実は不明ですが、高校には進学しているし、胸だって大きくなったわけです。

いじめはいじめで極めて大きな問題でしたが、あのクラスの雰囲気からして、西宮さんの障害をバックアップできるだけの体制が敷かれなかったことは間違いないと言えるでしょう。

担任の先生は、メモしておけと言いながら教科書のページ数を読み上げるだけ(黒板に書くなど、耳を使わないで把握できる方法をとらない)だし、国語の時間に音読で西宮さんを指名するものの読むべき部分を文字で指示しないといったことがありました。

朝の時間を使って手話のお勉強をしましょうという企画が出てきました。
誰の立案かは知りませんが、植野が断固拒否したため、実際に行われたのかは分からずじまい。
…植野、悪い奴だな(^_^;)

そして、西宮をいじめていた奴をある程度あぶり出したものの、石田がいじめられるようになったことについては、ほったらかしになったと想定されることもあります。つまり、いじめの排除はしなかった。

小学校の担任の先生の対応が適切だったかどうかは、大いに議論の余地がありますね。
僕は、対高学年特有の威圧感重視タイプ(⇔積極的干渉タイプ)とお見受けし、まぁまぁこんなこともありそうだという感想で、糾弾するほど悪いとまでは言えないような…もっとも、西宮さんとその他の生徒の関係性をどう持っていくかということについては、放任したというか、教師として意見がなさ過ぎたかもしれません。担任は、西宮さんにダメージを与えているのは石田グループであることは、当然に分かっていたわけだから。

とにかく、西宮さんは恵まれていなかったように感じます。
彼女は、頑張っていたと、僕も思ったんですよ。石田と取っ組み合いになった時、彼女自身がそう言っていたのが、僕の胸にすごい刺さって、最初のお涙ポイントだったですね。

第三者目線から見て、西宮さんは頑張っているという評価だったのですよ。これが1回目の鑑賞。
2回目の時は、僕はもっと強い気持ちを持って、自分が西宮さんの同級生だとしたらと想像してみました。何が正しいのか、どうすればいいのか、全然分からなかった。自分が西宮さんだとしても、同じくどうすればいいか分からなかったと思います。

ありきたりかもしれませんが、西宮さんに与えられた環境が、いろいろな要因でよくなかったと言えるのではないかと思うのです。
それを運が悪いというのか、必然というのか、また難しいですね。

本当に救いだったのが、高校生になった西宮さんが、適度に明るい人でいてくれていたことですかね。
結弦の存在(頑張り)、手話サークルや鯉のえさやりという居場所もあったから。

言いたいことが言えているかは疑問ですが、このくらいにしましょう。

現在、ブログに書きたいと思っているものは2個あります。

(1)僕は川井さんが嫌いだ
(2)変わった奴と変わらなかった奴

意見の方向性は決まっているのですがね。作品内容の記憶が薄くなると、また見に行っちゃうのかな…
営業戦略にハマっている気がするぞ(爆)

それでは。

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