期待値

PCのCPU使用率がほぼ100%な件。
何をそんなに仕事をしている気になっているんでしょうか。
確かに動作は鈍いのですが、もっとおかしくなっても良さそうな気がします。
クライマックスシリーズ、とりあえず中日が勝ったみたいでよかったです。
地上波テレビ放送は無いのかなぁ。
あったとしても、見るかどうかは全くの別問題なんですが。
ガンダム無双2を予約しました。
さすがに、このゲームは外せないですね。
でも、きっと滑るんだよな。
なぜかといいますと、過剰に期待してしまっているからです。
要は、期待を上回るようなことが出来ないくらい、強く期待しちゃっているわけですね。
僕のような下民は、期待をするという行為自体おこがましく感じることがあります。
といいながら、そういう思想は自由のはずなので、特に非難するようなことはありません。
一方、期待をされる側というのはどうでしょうか。
僕の場合は、期待をされるようなことは滅多にないと思っていますので、気楽な立場かと思います。
期待される側にいる人の難しさといったら、もちろん場面や内容にはよるのでしょうが、かなりのものなのではないでしょうか。
極端な話をしますと、期待の応え方は2種類あると思います。
一つは、ひとり~極めて少数人数(多くの場合一つの集団)のものです。
これは、期待をする人に対してピッタリな結果が欲しい感じですね。
そのピッタリが難しい。
もう一つは、極めて大人数。
これは、期待に応える側が行うことは一つくらいしかないですが、多様な願望を同時に満たさなければなりません。
炎上するブログなんかは、こういう難しさの結果なのかもしれませんね。
応える側は応える側で、自分の利害・希望・才能など流動的な要素を含んでいるものです。
最近、期待なんぞ起こらなければ、平穏な生活が出来るのに思っております。
案外そうもいかないんですね。
その結果、電車の中で天を見上げることが多いです。
きっと、期待をしたりされたりしないと、存在意義があやふやになるからでしょうね。
まずは、自分に期待するところから。

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