空中に向かって謝っている件

今日、今年の夏の甲子園最初の完全な休養日=試合なしの日だそうです。
もう1日くらいあるのか??(^_^;)
京都の花火大会の炎上事故、とても痛ましく、お見舞い申し上げるのですが、記者会見した商工会議所がマスコミに謝罪させられたと、ごく一部で話題のようです。
そもそも、なんで記者会見しちゃったのかと言うとわからないですが、商工会議所としてお見舞い申し上げたり、今後の運営とかで同様の事故が起きないよう、商工会議所としても対策をしたいくらいの話ならわかるのですが、当事者っぽく謝るのは違和感を覚えました…
報道でも、当初は謝罪の予定なく、マスコミの要求で…みたいになってましたね。。
謝罪を要求した人のモチベーションとして、僕が最初に感じたのは、記事受けだと思います。
例えば、商工会議所の役員が並んで頭を下げている映像や写真があれば、画になるでしょう。
構図的には、App StoreやGoogle Playで販売されているアプリで、よくないこと起こったので、アップルやGoogleに謝罪を求める感じかと…
アップルやGoogleにしたら、直接の瑕疵はほぼゼロに等しいが、自社の中でのアプリ審査など直接責任を持つべき範囲で改善しますとかが、やはりいいところだと思うわけです。
しかし、このマスコミの人は、悪い人だと思いますね。
商工会議所の立場で考えると、ひらりとスルーするか、そっくりそのまま報じられても支障ない言い回し「あんた、バカァ??」ってはねることができなければ、必然的に商工会議所は悪者に仕立て上げられます。
そりゃあ謝っちゃうでしょう…
(もっとも、被害に遭われたご家族の方なんかは、方々納得できないところが多いと思います。当事者は別ですよ)
では。

既読管理!

LINEなどで、既読が表示される機能により、返信がこなくて命を落としそうな人がいると聞きます。
なるほど、そういう考えもあるか。。
この出来事に関しては、、
自分の中で「既読」を“がいどく”だと思っていたのは間違いで、“きどく”と読むのが正しい
ということを、徹底することができて、ひとつ賢くなりました。
既読無返信強迫症(←勝手に創作)は、何でなんだろうかをちょっと考えてみます。
読んだんなら、なんか反応があるべきというのは基本的な思想だと考えられます。
でも、それではキャッチボールは終わりません。我慢しなさい。
既読が今後の付き合いにどういう影響を与えるか考えてみると、向こうが既読で何もないまま、改めてこちらからメッセージを送るというのが、なんとなくはばかられるというのがあるでしょう。
メールでもそうですが、一方的にコンタクトを取る状況は、イニシアティブを握っている満足感ではなく、終わりへの不安を覚えるはずです。
メッセージを読むことと、メッセージに対して返信することは、性質が違うことを理解するべきかと。
そもそも、メールでも同じ現象は起こっていますから…
俺は、メールの返信がもらえないタイプの人間だから、よくわかるよ!
気長にというよりは、気にしないで生きましょう。
一方で、いつまでたっても送ったメッセージが読まれないという事象が発生(´_ゝ`)
私は、そっと履歴を消したのでした…
気にしないで生きましょう。