使われない店は無くなることがある

不幸を呼ぶというか、俺は自分を不幸と思っている俺です。

望むことこそ叶わない。
そんなに俺は贅沢か。そんなに俺はわがままか。そんなに俺は価値がないか。

少し前の話ですが、週に1~2回利用していた台湾料理屋を、2月くらいからぱったり使わなくなったところ、気が付いたら、閉店してしまっていました。

もっとも、それに気が付いたときも、台湾料理屋を利用しようとしたわけでなく、通りかかっただけなのですが。

もともと、大して流行っていない可能性は疑われたのですが、晩年はメインのクオリティが低下気味に感じることもあって、料理人が確保できなくなったのではないかと思いました。
もちろん、経営的な問題はあったのでしょうけれど。

もっと前には、よくからあげ弁当を買っていた居酒屋が潰れるとか、うす~い縁を感じる店は姿を消す印象を持ちます。

その他は、職場近くの銀だこハイボール酒場が、銀だこ + からあげ専門店に変わり、そして銀だこもろとも撤退しました。

銀だこハイボール酒場時代は、昼間の立ち飲みスペースが基本的に遊んでいたので、そこにからあげ専門店をぶち込んでテコ入れを試みたんだと思うんですが、たこ焼きを食べる場所を奪いすぎてしまったんでしょうね…

僕の職場は、相当なオフィス街ですから、たこ焼きの持ち帰り需要なんて、かなり少なかったはず。

年末のお疲れ会には、ここ2年(?)銀だこが並んでましたが、もうないんだろうな…

ある程度関わりがあったり、自分が認識していたりというものたちではあるけれど、なくなって悲しいとか、不便だとかは感じないし、だからどうこうということもなく、冷めたものです。

思い入れがある、って次元のことではないですし。。

不感症は、感受性や敏感さの影響はあると思いますけれど、そもそもの事象がないという面も見逃せません。

今の僕の一喜一憂は、大概しょうもないですから。

しょうもない。

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