歴史的名勝負

今日は、大学に行ってたんですが、甲子園の試合を見るために、昼食とやるべき任務を家出できるだけの準備をして、帰宅しました。まぁ、結局また大学には行ったんですが…
やっぱり、見入ってしまいました。最後まで油断させない展開でしたし。
それでも、決着はつくもの―
昨日、甲子園を見ていて「スポーツは過程を見ないとおもしろくねえな」なんて話していました。なるほど確かにと思いました。
スポーツにおける過程の楽しみ方は、個人差があると思います。種目や選手の好き嫌い、知識ややった経験の有無なんかが関わるでしょう。結構主観的なわけです。
私は、偉い人が甲子園大会の講評を表彰式で述べるのがおもしろくて、当然今回も見たのですが、その偉い人が「特によかった試合」を羅列するのがあったんです。何を言うだろうと期待してたら、ありませんでしたorz
今までは、その講評を聞いて、その試合がわかるorわからないなんて楽しんでました。
結局のところ、いい試合の一般的な定義なんて無くて、各自が決めるんだから、こんな講評は意味がないと思うのですが…
「過程を楽しむ」という話ですが、私は当事者のようになって、選手・監督などとして感じる行為なのかと思いました。例えば、野球の試合で、応援したチームが勝てば嬉しいし、負ければ悔しいといった感情や、ピッチャーの立場を考えて、ホームランを打たれた一球を悔いるといった気持ちを、まるで自分のことのように感じるわけですね。やはり、この体験はただ結果だけ知らされたんじゃあできないですからねえ。それに、スポーツのような卓越した能力を背景に行なわれるものは、私のような凡人では、せめて見ていないとイメージすらわかないことがありますから。
では、なぜ高校野球がこれほどまでに支持されるか。様々理由は考えられます。
わからないこと―
「ハァ、当たり前じゃん」と思われた方。ごめんなさい。もちろん、未来を予測できないなら、わからないことは当たり前なんですが、メディアの下馬評とかあるでしょ。それが、ごく当然のように打ち破られる。そして、それを裏付けする決して最後まであきらめない選手の姿勢があるんです。
高校生という身分―
現代では、ほとんどの人が高校には進学します。そして、15~18歳といったら、誰でも多感な時期です。大人は、自分の頃を思い…同世代は、今の自分に重ね合わせ…これからなるものは、憧れる…この視点が多くの共感を呼ぶきっかけになっていると考えられるのではないでしょうか。
夏の甲子園の特徴ですが、トーナメント―
負ければ終わりというトーナメントは、「強い」ということを明快に表しますからね。それゆえに、勝つこと・負けることの意味がはっきり結果が出ます。ただ、この勝ち負けのレベルを試合の過程が越えてしまうんですねぇ。私は、そこが一番の醍醐味と思っています。
今日の試合では、私はこう感じました―
勝者には、負けなかったという自信を
敗者には、負けたことがあるという経験を
皆さんは、何を感じましたか?