強さ

いやー、先日のグループワーク、落ちてましたorz
残念でなりませんが、こればっかりはしょうがないので、次へ行きます。
例えば、このグループワークのように、人は何かを達成しようと挑んでいくわけですが、なぜなんでしょうか。落ちることも認めた上で、なぜ挑み続けるのか。自分なりに考えてみたいと思います。
普通、何かをやることの動機というものは、そのやることによって、得られるものがあるからだと思います。たとえ、それが義務的なことであってもです。例えば、学生にとって学校に行くことというのは一見義務的ですが、出席を得られる・勉強を教えてもらえる・給食が好物・好きな子に会えるなど、多くの価値も含んでいることから言えますね。
また、何かを得るために、ほかの何かを犠牲にすることもあるのです。続けて学校に行く学生を例に取りましょう。学校に行くことで、学校に行くだけの時間がかかる・嫌な先生に会う・定期をなくす(?)など、マイナスを得ることもあるわけです。
よく考えてみると、自分が好きなことっていうのは、マイナスよりプラスの面が大きいんじゃないんでしょうか。私の趣味であるラジオなんていい例ですよ。プラス面は、娯楽であるため当然楽しい・場所を選ばない・同時にほかのことができるなどいっぱいあって、マイナス面は、電気代か電池代ぐらいですからね。
やろうとすることが大きければ大きいほど、大きなプラスと大きなマイナスの可能性が出てきます。基本的には、相関関係がありますね。
特に、自分の人生に関することはそうじゃないでしょうか。
私のような凡人では、受験や就職というのはとっても大きな課題といえるでしょう。でも、よくよく考えてみたら、それをするかどうかの時点で自分に選ぶことができたのです。受験にしたって、どこの高校・大学にいくか以前に、高校・大学にいくのかを選択できるのです。就職だって、暴力的ですが、しないと決めたらそれまでなんですよ。
じゃあ、今までなぜ私は受験の道を選び、今就職を志しているのか。それは、自分が、そのフィールドで成し遂げたいものがあるからなんです。つまり、大きなプラスがあるからなんです。でも、冷静に考えると、同時に大きなマイナス面を含んでいるのかもしれません。それを踏まえて、できる限り理解して、挑んでいるんです。
就職をするプラス面は何でしょう。お金でしょうか。私は、決してそうではありません。お金は、いろいろなものと交換できる非常に便利なもので、生きていくうえでもとても重要なものです。まさか、いらないなんて思わないし、できるならば人より多く稼ぎたいとも思います。その反面、非常に即物的なものでもあります。お金それ自体は、ただお金であり、それに過不足ない財やサービスが提供されるだけですから。お金自体では、決して満たされきらない。
私自身は、生きて人の役に立ちたいと常々考えてきました。今までは、自分のかかわられる世界が小さかったので、どれだけの役に立てたかはわかりません。自分の力不足がもっと大きな原因だったかもしれないし、もしかしたら役に立ってかもしれない。これからもそうしたいと思っています。
社会に出れば世界という視野で、もっと多くの人に対して役に立つことができるのではないか、そう考えるようになりました。それが、私の一番の動機です。
今は、マイナスの真っ只中かもしれません。合格するよりも落ちることのほうがずっと多いですし、望んだ相手に受け入れられないということは、本当につらいことです。それでも、自分の志を達成するための場所がほしい、チャンスがほしいと思い、挑んでいくわけです。
仮に、就職したらしたで、マイナス面もあるでしょう。今までの人間関係から、まったく新しい人間関係への移行・学生時代との時間のゆとりのギャップ。働いてみてわかることも多いでしょう。
たぶん、マイナスのほうが多い気がします。
それでも、自分の果たしたい志があるんです。たとえ、どんなに辛くても、誰からも認められなくても―
だから、こう思います。
辛い嵐の真ん中を真っ直ぐ進んでいくんだ。本当に辛いときは、少しぐらい立ち止まっていい。また、進んでいけばいい。逃げることはするな。自分を裏切ることになるから。
うまくいかないときは、逃げるのではなくて、バッサリ死ねばいいんです。そうすれば、また新しくなって戦える。とても力が要ることですが、きっと前より強くなれる。
最近母親に言われます。「どうせ就職はできないだろう。進学して、公務員の勉強でもすればいい。」確かにそうかもしれない。現実、進学する可能性はあります。でも、絶対に民間に就職しようとするでしょう。うまくいかなくて、その難しさも、辛さも知っているのに―
私の考えている強さは、志の強さに通じるところでしょう。それでも、あんまりうまくは言えませんが…
迷いはありますか?じゃあ、聞いてみればいい。自分はどうしたいのか。そして、大きな犠牲を払っても、成し遂げるべきことがみえるなら、進めばいいんじゃないでしょうか。