帰省中

のぞみの中からこんにちは。現在実家に帰省中です。
のぞみは、岡山行きがあるのでもちろんそれに乗ります。何となく乗り過ごさなそうで安心だ。
ただ、自由席が少ないので、人は大体多い。名古屋行きのこだまがあるが、名古屋に着くためにかかる時間で、のぞみならたぶん大阪に行けるほど遅い。そのせいだ。実際名古屋での乗り降りは多い。
あとは、東北新幹線に比べると、車内でビールを飲んでいる人が多い気がする。スーツ着て、駅弁食べて、ビールを飲む人は、まさに勝ち組か。
あと、のぞみは自由席でも切符の確認にくるね。やまびこでやった記憶ないもん。
東京は雨が降ってました。仙台は、明日降るらしい。まさに、雨から逃げている。もちろん、他の目的があるわけだが…
間違いなく、両親が突っ掛かってくるよな。進路のことで。別に、就職が決まらないことに対して、私を馬鹿にしたり、蔑んだり、罵ったりするのは、事実だから、かまわんが。
最悪なのは、就職は競争とはいえ、単純に順位付けするわけではないのに、他者と比較することや、「あんなに頑張ったのに」みたいなただ運のせいにしようとすること、「じゃけえ、~しときゃあよかったんじゃ」という保障も、確証も、生きる本人の意志もない結果論。特に、教職と公務員に結び付けたら許せねえ。
進学の話題は問題だ。3年の頃、結構進学する気があったんだけど、いろいろ考えて、今だからな。いざ、進学して何をするかが、さっぱり見えない。
まるで脱け殻みたいなんだよね。どんなに中身をぶつけても、どこにも当たらず跳ね返らないで、自分に戻ってこず失っていく感じ。
その結果、いろいろやればやるだけ自分がわかった気がするし、自分がわからなくなった気がする。
私なんかは、自分がいくら苦労しても、ちょっと役に立てばいいやと思ってる。塾では、そうできた。やりがいもあったし、信頼も得ていたと思う。でも、その塾の会社は4次選考で落ちた。
生き方を探すのは、希望を探すのとはちょっと違う。ただ、生き方と希望が一致していることは素晴らしい。
塾の同僚で、特に親しく人の中に、小学校の先生になった方が二人いる。その二人は、自身の夢を実現した。いいことだ。それ以上に、私はその二人をみていて、「あぁ、この人は小学校の先生であるべきだ」と思ったことがある。それは、実力的なことでなく、そうあるべきという義務・責任・必然…うまく言えないが、そんなものを感じた。
もはや、生きているうちに会えるかどうかさえ不明だから、深く激論をしておけばよかった。きっと楽しかろう。
あんなふうになるには、本当に強い意志が必要だろう。たぶん、私のような奴が、いくらわかった気になっても足りないくらい。そして、その意志を表す場をもっていることは、羨ましい。
不自由だ。
まだ、何も決まっていないから自由だ。
何か元気でたな。家で悪いこと起こらなきゃいいが。