キツすぎて見えるもの

世の中、「キツかったけど楽しかった」という矛盾をよく見かけます(爆)
自分にも程度や到達レベルの差はあれ経験がありますから、その事情を考えてみますと、生存の危機を感じるからではないかと思うようになりました。
生きているありがたみは、普通にしてると少しずつ感じなくなり、当然なものとして位置づけられていくように感じていますので。
スポーツ競技としてのマラソンは、スピードや駆け引きに重きが置かれますが、もっと一般的なランナーを考えますと、自分の限界に挑戦するためであったり、そこを越えて成し遂げようとするものがある(多くはプロポーズですかね…)といった面が見えてくるでしょう。
○○時間テレビにおいては、基本、走ることには一般人の方が、驚きの距離を走ります。
あからさまに元気に戻ってくる人は滅多にいないですよね。
不思議と共感するような気持ちになるのは、自分がやったら、もっとボロボロになるやろうとか、いけて20kmだなとか、悲観さを思い浮かべちゃうからかなと。
感動の手段として、自己投影が必要であると考えると、一般知名度を重視したランナーの人選になりますよね。
仮に嫌いな人が走っているのを想像した場合、さすがにザマアとは思いませんが、だから何くらいの冷酷さはあり得ますよ。。
いろいろ総合すると、、無難なのはジャニーズということですかね…
なんて話だ(^_^;)