最後と思えない一日

学位授与式だった昨日に、もらったものは…
卒業関係の書類や、学位記といったものよりも
とても見えにくくて、
とても曖昧かもしれないけれど、
確実にそこに存在した信頼と絆、友情。
僕にとって、時間が限られてしまっているから、「大きな同じ」グループよりも、もっと濃く「僕がいた場所」で過ごしたかったのです。
もちろん同級生の友人とも話はしましたが、日が変わるまでは研究室の方と過ごし、その後は夜が明けるまで落語研究部の部員として過ごしました。
おかげで、真昼間でも眠いですが、とても充実した一日となりました。
私が思う「本当に近い人」は、すぐ会えるという肉体的な近さではなくて、離れていても分かり合える精神的なものです。
そのように考えるのには、正直、かなりの勇気が必要でした。
高校3年の頃、生意気にもこんなことをそのときの友人に話していました。
「俺はな、自分が死んだときに、身内以外に一人でも悲しんでくれるような人になりたい」
他にない自分という存在が、本当に貴重でかけがえのないものでありたいと、そのように願っていたのです。
もちろん、今でもその想いは変わりません。
僕が宮城から去り、はたしてどのくらいの人が遠い存在となった僕のことを残念に思うでしょう。
もちろん、それを知ることは出来ません。
大きな別れですが、どうしてでしょうか、「もう、会えないんだな」というような思いがまったく出てきません。
それは、メールアドレスを知っているからではなく、卒業生の中でも東京に移る人が多いからでもなく…
ただ、何か、一緒にいるという感覚だけが、リアルに消えないから。
よく、「○○がいてくれたから、ここまでやることが出来ました」的な感謝を述べる場面があります。
実は、そんな実感は僕にとってあまり強くはなかったのですが、よくよく思い直してみると、考えるところがあります。
僕とあなたがいる。そこにいる僕は、僕らしい。
自分という人間が最大限自分らしくいられるという、そんな場所を作ってくれたのが、僕にとって本当に大切な仲間なんだ。
そんな仲間と居れたから、僕は研究も出来たし、落語も出来たし、面白い話も出来たんだ。
ありがとう
少し離れてしまうけど
僕は新しい場所を作り
みんなも新しい場所を作るから
その場所がいくらか立派になったときに
僕は
またみんなとはしゃぐことができるんだね