眺めるのは遠く先の未来

朝から墓参りに行ってきました。
我が実家のお墓は、別に私が認識のない先祖の墓です。祖母関係の人たち。
草むしりしたり、お米やお菓子をあげましたり、線香をあげましたり。やってることは実に普通です。
でも、ここに来ると考えることがあるんです。建物で言うと、5階の高さなので、空を見上げながら―
皆、満足に生きただろうか。
同じ場所に葬られているとはいえ、生きた背景はそれぞれ。その生き方の中で、それぞれの人はどうあったのでしょう。
人生に結果を与えるなら、死ぬために生きるのか、生きたということを定義するために死んでしまうのかと、今日は考えていました。
僕は、どちらにしても為し得たことが少なすぎる。
近年は、せいぜいお盆と年末にしかくることはできなかったのですが、ここに来るたびに、自分が生きることの意味を少し思い出し、襟を正すような気持ちになる自分がいるのでした。