舞台は夢

井上康生氏が敗れ、オリンピック出場はなりませんでした。
結構多くが康生氏を応援していたようで、この結果を受けてもコールが起こるなど、やはり注目度の高さをうかがわせました。
高橋尚子氏もそうだと思いますが、人気の高さはダントツですが、今そのときの強さがどうも足りなかったようで、オリンピックの舞台がかなわなかったわけで。
厳しい意見ですと、ふたりとも五輪経験者で、別に夢とも言えないとか…
選考は、そのときの一番強い人を選ぶというのが基本のスタンスで、手段としては確からしいのですが、いざ選手側というと、夢舞台というのが至極もっともなところです。
このあたりにギャップを感じるんですね。
まぁ、選手の中には、オリンピックにでて当然という人もいるんだとは思うんですけどね。
私のような一般の観戦者は、オリンピックに何を見るでしょうか。
国際情勢とか、民族問題というのは、一応別件として除外しておくと、
日本スポーツの強さとか魅力

夢、あこがれの象徴
とかそういったところでしょうか。
僕なんかは感情が欠如しているので問題ですが、何かを熱心に見ていると、その裏側を想像するようになって、感じ方に深みが増すように思いますね。
マラソンでの、デッドヒート36キロ過ぎとか(←イメージですが)。
もっとも、僕の妄想という可能性は否定できないんですけど。
そういう意味で、井上康生氏の柔道を見て、いろいろ物思うところは多かったのではないでしょうか。
オリンピックの舞台は夢である必要性は、スポーツに普段以上の価値を与えるところに関係しているのではないかと思った次第です。