心理学にみるもの

今日は、学部の自習室にこもってせっせとデータの整理。
研究のみの目的上、詳しい内容は話すわけにはいかないですが、やっていて思うことをお話しようと思います。
現時点でわかること。
1.今のところ、私の仮説通りの結果は出ないであろう。
2.作った質問紙の内容は、学習者にとって面白いといえるものではなく、しかもわかりにくかったようだ。
1は、辛いなぁ。きちんと考察できれば卒業には問題ないんだろうけど。
2も、辛いなぁ。やっぱ、調査をしたこと自体を嫌悪したいただろうからな。
実施者としての、思うこと。
まず、参加してくれた方への感謝はつきません。心理学は、目に見えない心を扱うからこそ、データという客観的な事実を求めるのですからね。
そして、思い通りにならないこと。心理学を学び、「人の心がいかにわからないものかが、よくわかった」と話した方がいたそうです。まったくその通りだと思います。その難しい点が頭を悩ませる原因ですが、心理学に価値を見出す人にとっては醍醐味なんでしょうね。
もう少し掘り下げてみましょう。
同じものであっても、人がそれに対して持つ感情や価値観は様々です。いいと思ってくれた人、興味を持ってくれた人。嫌だった人、途中でやめた人。
心理学の調査では、嫌だったりやりたくなかったりする場合に、調査を続けることや回答を強制することは一切行いません。それは、人の心を大切に考えているからだと私は思っています。質問紙を作るときも、言葉には細心の注意を払いますし、その点は先生に厳しくチェックされます。
そのような立場ゆえに、自分が考えた人間の心の動きが、実際の人間の動きに一致するとき、心という闇に潜む問題を解決できたり、解決の糸口をつかめたりするのです。
結果的に、人間の心理が変わり行動が変化することを促すわけですが、直接的に心をいじることは決して行ってはいけません。そんなことをしてしまえば、心理学なんて人を破壊するための兵器にしかなりません。
私が求めたことは、「何かをきっかけに、自分の気持ちや価値観を再構成し、高めていくこと」です。そのきっかけを、自分が提供することです。
落語は、演者が一人ですから特にうってつけです。
ラジオへの投稿は、自分のネタとパーソナリティーの融合で行われます。
麻雀には打ち手の性格がよく表われます。
勧めはしても、強制はしない。
価値観は、表現しぶつけ合うものであっても、押し付けるものではないのです。
心理学は、私が選んだ学術的な価値観でした。
多くの人に「魅力ある人間」と思われる存在は、他者に憧れや尊敬といったプラスの価値観が多いものです。
たいてい皆、そのような存在になることを望むのではないでしょうか。少なくとも私はそうなのですが。
でも、それすら私の価値観ですね。これを読んでくれているあなたとも違うかもしれない。
いいことだと思います。それが、「自分らしさ」ですから。
心理学は、この私の話なんかよりずっと論理的ですが。まぁ、私にとっては、いい影響を与えてくれたってことです。

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